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わかるときがきたら、わかる。それでいいや。


2015/02/02
昨年末我が家にやってきた、新しい相棒、パサートくん。
あ、車です、自家用車。
先週末、運転席の様子を撮ってみました(^-^)



先代の愛車、オデッセイ アブソルートに乗っているときは、この車を超える車なんてないよ…くらいに思ってました。大方の予想通り、というかお別れするとき、アブくん(先代をこう呼んでいました)に指摘された通り、納車1ヶ月で「やっぱ、いいわ、パサートくん」な感じになってます(笑)

何がいいってね、自分が思った通りに走って、自分が思った通りに曲がって、自分が思った通りに止まるんです。

え、車なんだから、そんなの当たり前だろ!ですって???

ええ、ええ。私もそう思ってました。
パサートくんを買う前、メーカーのHPで、オーナーの感想を片っ端から読んでみたところ、多くの人が「ちゃんと走って、ちゃんと曲がって、ちゃんと止まる」と書いていたのです。それを見て私も、「んなの、当たり前だろ!」と思ってました。


オーナーのみなさんが言ってることが本当にわかったのは、初めて試乗したときでした。
ちゃんと走って、ちゃんと曲がって、ちゃんと止まるって、こおいうことかーーー!!

たかだか数分運転しただけで、みなさんの言っていることがストンと落ちたのです。これは理屈じゃありません。体験で知る、とはまさにこのこと。


てな感じなので、運転が楽しくて楽しくて、パサートくん乗りたさに毎週末箱根を攻めてる始末です。…だから、新車買うと箱根攻めるって、どこから出てきた発想なんだか。

今日もまた、パサートくんで出かけ、帰り道の横浜新道をゴキゲンで走ってきました。

なんてったって、思い通りに走るし、加速が軽やかですからね、「よし、ここで車線を変えよう」と思った瞬間、すっと動ける。「スピードが出過ぎたな」と感じたら、すぐ抑えられる。本当に快適です。

高速を降り、一般道に出てはじめて止まった赤信号で、ふと思いました。


「あ、これ。心の正気を体験することに似てる」って。



本当のことを知りたい。ホントはどうなってるんだ?

その一心で探求を続けた結果、本当の自分は、今まで探求してきたどんな自分とも違うことに気づきました。

自分は、肉体ではない。
一人に一個ある魂でもない。
思考や感情の束じゃない。

体験を通してそれが深く腑に落ち、自分観が覆って以来、思考や感情に振り回されることはなくなりました。思考や感情が穏やかになったわけではありません。それらを使って、ちゃんと生きた体験はしつつも、思考や感情が表すことをうのみにしなくなったのです。

今でも怖れや不安、言いようのない淋しさや怒りを感じることはもちろんあります。100%心地よい感情を感じているわけではありません。

思考についても同様です。崇高な思いや立派な思いを抱き続けているわけではない。しょーもないことばかり考えています。

だからといって、自分はダメだ、なんて思えなくなりました。
だって、自分は、現れは消えていく、思考や感情の集合体ではないのだから。


体調を崩しても、そのせいで気分が落ちたり、イライラすることはなくなりました。

お腹壊そうが、胃が痛くなろうが、喉が腫れようが、フツーにしています。身体感覚はどちらかというと不快だけど、心は無事、というのかな。といっても、無理やり機嫌よくして「気合で治す!」なんてことはせず、体調がすぐれないときは、すぐれないなりに節制しています。


そう、心が正気でいる状態間を体験したことで、はじめてわかったのです。
今までいかに、正気を失っていたのかを。

『奇跡のコース』に「狂気の沙汰」という言葉が何度も出てきますが、正気を体験する前の自分は、冗談じゃなく狂気の世界に住んでいたと思います。



よく考えたら非常に根拠があいまいな「記憶」、その中にある「信念・観念・思い込み」を基準に、見聞きするものを評価判断し、ただでさえ信用ならない「記憶」を、さらに上塗りしていました。

そのうえ、波のように押し寄せる感情や、それに伴って生まれる思考を、「自分の中から出たモノ」として本気にし、ときに感情や思考の赴くまま、あとから考えたら「なんであんなことをしたんだろう?」と不思議に思うような言動を何度も繰り返していたのです。

なにか自分にとって都合の悪い出来事・思考・感情を知覚するや否や、ありとあらゆる手を使って、その状態の原因を特定し、遠回しに自分を正当化する。かと思えば、そういう「自分」を責めたり、落ち込んだり、誰かを責めたり、攻撃したりする。

今更考えてもどうしようもない過去のことを延々と考え続けたり、今想像したって結局はわからない未来のことにひたすら思いを巡らせたり。そうやっているうちに時間が過ぎて、「なぜ、あのときあれをやっておかなかったんだ?」と、懲りずに後悔する。

不安や怖れを感じたくない一心で取りつかれたように何かに熱中したり、かと思えば、不安や怖れに喚起された思い・考えに従って、本当はやりたいのかどうかわからないことに、持てる力のほとんどを注ぎ込んでみたり。

…ほんと、無駄なことばっかやってたわ。



こう書くとすごく極端な状態のように見えるかもしれませんが、肉体・思考・感情の集まりを「自分」だと思っている限り、程度の差はあっても、狂気の沙汰を繰り返していることに変わりありません。というか、根拠のない思考・感情を本気にしてる、という段階で、正気を失っていると思います。

ただね、これは「正気の状態」を体験したからこそ、言えることなんです
だって、狂気の世界にいるときは、それが当たり前だと思っていたし、むしろ「いろいろあるけど、自分、一生懸命やってる」と思ってましたもん。

それはまるで、先代のアブくんに乗っているときは、あの走りが普通だと思っていたけれど、本当の意味で「当たり前に走る」パサートくんに乗ってみて、こっちの方が普通だったんだ、と気づいたことと似ています。



実際、自分いう個(=自我)に基づく世界では、今まで書いてきた状態はごくあたりまえでしょうし、自分で頑張ってなんとかする姿こそ美しく、思考や感情であふれかえった状態が「人間らしい」ってことなんですよね。実際、「悟り」や「目覚め」に興味があって話を聞きに来る人の何人かは、「なおちんの言ってることが本当なら、目覚めちゃったら退屈になっちゃうじゃん」と言います。たしかに、そうだよな。自我から見えたら、「自分」の思考や感情がない状態なんて、死んだも同然でしょうから。うん、これはこれで、全然間違ってない。


結局、前提条件が変わってしまっただけなのだと思います。
前提条件が違うだけなので、どちらかが正解、というわけでもない。
本当のことを言えば、片方は存在していないので、比べることすらできません。

…自分、こんな時間に何を書いてるんだ???
書きたくなっちゃったんだから、まいっか。


以前はこんなとき真理さんに出てきてもらって、「これは何の意味があるの?」と聞いてみたりしました。今はもう、その必要を感じません。

意味なんか知らなくたっていいよ。
別にどうでもいいし。
わかるときがきたら、わかる。今はそれでいいや。

書きたかったから、書いただけ。
やりたかったから、やっただけ。
以上、マル。


何かを書きたい気持ちと、言葉になるのを待っている思考が、うわっと盛り上がって、消えていきました。もうこれで、スッキリしたみたい。


結局、すべてがこうなんでしょうね。
うわーっとわき上がって、表現された途端に、すーっと消えていく。


自我は意味づけが大好きです。
わきあがってきたものが自分にとって価値あるものとなるよう、意味づけするのに忙しい。
自我にとっては非常に残念なお知らせですが、出たきたもんに意味なんかありません。
ただ、出てきただけ。

もし敢えて意味づけをするとしたら、わいて出てきた「何か」より、その源にこそ価値があるんでしょうね。すべてのものは、その源の意思によって、生み出されるのですから。その源を直接見聞きすることは、決してできないし、それを想像することすらできないけれど。

 
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