FC2ブログ

ただ、一緒にいればよかったんだ。


2015/02/09
今日は母の命日でした。
51歳で亡くなってから、もう20年になります。
生きていれば、今71歳だったのか…

母は年齢よりかなり若く見え、白髪もあまり生えていませんでした。私の記憶の中の母は、ずっとそんな感じなので、年を取った様子がまったく想像できません。そんな母に会ってみたかった気もするし、ずっと若いままでいてほしい気もするし、変な感じです。

いわゆる仏花が好きではなかった母のために、春色の華やかな花を買って、お墓参りに行きました。お墓にはすでに、真新しい花束が生けてありました。その色合いを見てすぐ、妹だ、とわかりました。やはり、仏花ではない、華やかな花。会社勤めで忙しい毎日を送っている妹はきっと、出勤前にやってきたのでしょう。

ここ最近は命日に近い週末に夫とくることがほとんどでした。一人でやってきたのは久しぶり。花を供え、静かに手を合わせていたら、うっすら母の声が聞こえた気がしました。

「ごめんね。本当にごめんね。
 母さん、お前に間違ったことばかり教えてしまった。
 母さんが言ったことは気にしないで、自由に生きてほしい。」

????

最初は何を言われているのか、それが本当に母の声なのか、わかりませんでした。

今となってはもう思い出せなくなっているのですが、少なくとも生前の母は、自分が間違っていた、と気づいていても、絶対に謝る人ではなかった気がします。

ああ、ちょっと思い出してきたわ。
自分の正しさを守るためなら、どんな理屈でも押し通すし、時には親としての強権を発動するような、支離滅裂さがありました。実家にいた頃の私は、100%親が正しい、と思っていましたから、母の支離滅裂ぶりや論理の破たんには全然気づいていませんでしたが。

ただ、ふだん家で見ている姿と、家族以外の人に見せる姿があまりにも違い過ぎて、どれが本当の母だったのか、生きているうちは全く分からなかった気がします。



母が亡くなってから10年以上経った後、ひょんなことから「過去の癒し」にはまり、私が見ていたのとは全く別の視点から、母の人生を捉えなおすことになりました。

母をテーマとする一連の癒しの旅の中で、母が大きな大きな悲しみと劣等感を抱えていたこと、それを人に悟られまいと、家では強い母を演じ、外では無邪気で幸せな女性を演じていたことを、知りました。

生前から母に対して抱いていた、言葉にならない違和感の正体はたぶん、これだったのだと思います。本当の姿を見せまいと、ありとあらゆる仮面をかぶっていたのですから、私がときどき「どれが本当なんだ?」と感じるのは、ある意味当然だったのでしょう。



それでも、母を嫌いにならなかったのは、母が自分なりの方法で精いっぱい私を愛してくれていたこと、そして、自分と同じ過ちを犯さないよう必死に私を守ってくれていたことが、わかっていたからだと思います。母の愛が痛いほどわかるから、母の言葉をすべて「正しきこと」として受け入れていたのでしょうし。

実際、過去の癒しに取り組むまで、「なんだかんだいって、私は幸せな家庭で育ってきた」と思っていました。いわゆるファミリーカルマをテーマに、ありとあらゆる癒しに熱中し、いろんなプロセスをぐるぐるっと回って、今はやっぱり、「自分はずっと幸せだった」と自信を持って言えます。

正直にいうと、もはや思い出せないのです。
母にされた(と思っていた)ことや、母からの影響(だと思っていた)ことを。
最初から何もなかったかのように(というか、真実は最初から何もないのだけれど)、もう空っぽになっている気がします。唯一思い出せるのは、母の優しさだけ。



だもんで、今日の母の「ごめんね」発言には相当戸惑いました。

ややや、母さん。もうそれ、いいから。
てか、忘れちゃったし。今、幸せだし。

それでも母はずっと謝り続けています。
しまいには、妹のことも、なんとかしてやってほしい、と言い出しました。

母曰く、「私が間違って育ててしまったせいで、あの子は、本当に辛いときも人に甘えられず、意地を張り続けるようになってしまった」

そんな話を聞きながら、なるほど、と思ったりもしました。6歳年下の妹は組織でバリバリ働いていて忙しく、最近は会える機会がほとんどありません。私にとっては、いつまでも甘えん坊で可愛らしい妹ですが、社会や組織の中では「できる女」として相当頑張っているようです。たしかに、その姿が、往年の母に似てなくもないな。


お墓の前で、いろいろな思考が浮かんでは消えるのをただ見守りながら、母がひたすら謝るのを聞いていました。聞いているうち、ちょっと辛くなってきてしまいました。

それでもしばらく聞いたのち、「もうね、ホント大丈夫だからさ。てか何も起こってないし。じゃ、行くわ。」といって、その場を後にしました。



ちょうどお腹がすく時間だったので、帰りに何かを食べようかと思ったけれど、なぜかどこにも行きたくなくて、まっすぐ家に帰りました。家でご飯を食べ、しばらく母のことを思い浮かべてきたら、突然涙があふれてきました。そして、気づきました。


ただ謝るのを聞いてあげるだけでよかったんだ。
母が納得するまで、謝らせてあげればよかったんだ。
そう、ただ聞くだけでよかったんだ。

そう気づいたら、ますます涙があふれてきて、一人でわんわん泣きました。


人は同じ場所で同じ時間を過ごしていても、まったく別の体験をしています。
私と母もそう。

私は、今までに取り組んできた癒しのプロセスを通じて、母との関係を見つめ直し、母に言いたくても言えなかったことを言い、母に対して抑えていた感情を表現することで終わらせてきました。癒しをやってやってやり尽くした結果、母にされたり言われたりした(と思っていた)ことが、今の私を支配することはなくなりました。

今でも、昔慣れ親しんだ思考パターンを知覚することはありますが、今の自分を振り回す力はもはやありません。かつて言いたかったことが出てきても、「そうだったんだね」と受け止めれば、もうおしまい。

私は、マニアの域に入るくらいの勢いで自分を癒しまくり、いろんなものを表現し、吐き出し続け、飽きるほどやり尽くしてしまいました。思考と感情を含めた記憶の在庫を一掃しちゃった感じ。しかし、母にはまだ、表現しきれていないものがあったのかもしれません。


今までも、お盆の時期などに母の声を聞くことはありました。そのときにも、うっすら「母さんが悪かった」というニュアンスを感じていましたが、それよりも「自由に生きていてほしい」という親としての祈りがより強く伝わってきた気がします。

今日感じた母のエネルギーは、今までのメッセージとは全然違っていました。
聞いていて苦しくなるくらいの謝罪と、とてつもない罪責感の告白でした。

私にも母に対して表現できない思い・感情があったように、母も私に対して表現できなかった思い・感情があったのでしょう。ずっと表現できずにいたものが、今日、一気に出てきたのかもしれません。


私の中ではもう終わったことについて延々と謝罪されるのがなんか居住まい悪くて、「もういいよ、それは終わったことだから」と何度も許しの気持ちを伝えてしまったけれど。

そんなことする必要はなかったんだ。
私は許す必要さえなかった。

母が私に対してずっと表現できずにいた思い・感情を、ただ受け止めるだけでよかったんだ。ただ、一緒にいればよかったんだ。


なんだかよくわからないけど、涙があふれて止まらなくなって、ちょっと頭が痛くなるくらい泣きました。


数か月前、「愛する人の形見からの手紙」のセッションで、似たような体験をしました。そのときは、クライアントさんのお母さまの形見の品を通じて、お母さまがずっと表現できずにいた、とてつもない罪責感が表出してきたのです。

クライアントさんと私は、ただただその罪責感と一緒にいました。私たちがただそばにいて受け止めることで、大きな大きな罪責感が表現され、終わっていくのを見届けました。そのとき、心から実感したのです。表現されるものをただ受け止めるだけで、自然に癒しが起こり、過去が浄化されるのだ、と。



あーあ。私もまだまだだなあ。
セッションやワークショップなら、何が出てきても、ただ見ていられる。
自分は何もする必要がない、と腹をくくって、ただそこにいることができる。

でもさ。母さんからあんなことを言われたら、やっぱり動揺しちゃうよ。
私にできることはないか、どうしたら母さんの気持ちを明るくできるんだろう、ってすぐ考えちゃう。母さんのことが大好きだった、子どもの自分に戻っちゃうんだ。

心の中でめまぐるしく変わる思い・感情をずっと見ていたら、そのうちおかしくなってしまいました。なんだかわからないけど、笑いがとまらなくて、涙で顔がぐちゃぐちゃのまま、ケタケタと笑いました。


大きな感情の波が過ぎ去っていった後、別れ際に母から聞いた言葉を思い出しました。

「私のように、何かをずっと抱えてきてしまった人を助けてやってほしい。
 ただ、そばにいて、聞いてやってほしい。
 もう、人の声で話せなくなってしまった人の声も、ちゃんと聞いてやってほしい。」


ちょっと遠回しだけど、母から背中を押してもらった気がしました。
生きているときは、そんなことしてもらった記憶が全然ないのに(笑)


近いうちまた、一人でお墓参りに行こう。
今度会った?とき、母が何を言ってくれるのか、楽しみになりました。

お知らせとご案内

2019.2.28.
昨年、会社ホームページを立ち上げました。
今後、ブログの更新、セッション・サービス・イベント等のご案内は、ホームページにてご覧ください。


TEAM the specialist

-心のコソ練(R)で 自分スペシャリストを生きる- 山崎直美事務所 株式会社

本ブログの過去記事も、順次再編集し、ホームページに移行していきます。
よかったら、ホームページでも、引き続きおつきあいくださいませ。

なお、過去記事を時系列で読みたい方のために、本ブログはそのまま残しておきます。私と似たようなプロセスを生きる、どなたかのお役に立てたら嬉しいです。

▼関連記事
comment (0) @ ヒーラーという仕事
見た目の美しさが語るのは、見た目の美しさじゃだけないんだよ。 | 20年以上もこうした体験をさせてくれること、それこそが感動価値だと思うんです。

comment

コメントを送る。

URL:
Comment:
Pass:
Secret: 管理者にだけ表示を許可する
 

人生を創る心のコソ練。

自分の本質を仕事・ライフワークで分かち合っていくための知恵と哲学、新しい心の使い方をお伝えしています。