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あ、もうすべてを許そう。


2016/08/13

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今日は、お墓参りに葉山まで行ってきました。実家のお墓には、20年以上前に亡くなった母と、5年前に亡くなった父方の祖母のお骨が入っています。

お盆真っ只中とあって、お墓参りに来ている人にたくさん会いました。ふだんは他の人を見かけることがほとんどないので、なんだか不思議な感じです。うちの向かいのお墓にお参りに来ている人の顔も、はじめて見ました。丁寧にお墓の掃除をしていたから、近しい人が眠っているのだろうな。

今日は、辺り一帯に、親族に心を寄せる人たちの「気」が満ちているのを感じました。こんな感覚ははじめてかもしれません。


いつもとはちょっと違った感覚で、お墓に手を合わせた直後のことです。毎度おなじみ、「声」が聞えてきました。




「あとのことは、頼んだよ」

…あれ?? これ、誰だ??

いつもは「声」が聞えた瞬間、母だ、とわかるのですが、今日はちょっと違うような…いやでも、母だよな、と思えるような、不思議な感じがしました。


あとのことって何?
あ、父さんのこと??


「一人で、どうしているか心配だから」

どうやらこの春で仕事を引退した父のことを気遣っているようです。父とは昨日、ちょうど電話で話したばかり。

いや、父さんはなんだかんだ言って大丈夫だからさ。

「…そう? …」


え、何?
あ、妹のこと???

あーーー、あの子は大丈夫だよ。
私よりずっとしっかりしてる。


「それでも…ねえ…」

うーーーん。
とりあえず、わかったよ。
なんかあったら、フォローするから。

…てかさ、母さん。

あなたもう死んでるんだから、そんなに心配しても仕方ないでしょ?
こっちのことは、生きてる人間でどうにかするから大丈夫だよ。
そんなに気にかけて、化けて出られても、みんなびっくりするし。



「いや…お前にも何もしてやれなかったし、私のせいで…」

ややや、だからもう、その話はいいって。
こっちはこっちで、大丈夫だから。

(今日はやけにしつこいな)

気持ちは嬉しいけど、もうさー、気遣いは無用だよ。


それに、今肉体があろうとなかろうと、自分が何かやったり、どうにかすることで、他の人の人生をどうこうできるわけじゃないんだよ。


あのとき、自分がこうしていれば、この人の人生は違ったものになったかもしれない。

そう考えちゃう気持ちはわかるけど、結局、他の人の人生はどうにもできないよ。たとえ家族であったとしても。

あのとき(家族の誰かが)こうしていれば…という思いがわいてくることはあるし、それは確かにリアルに響く。でも、「もしもあのとき…」という後悔が、心を幸せにすることはまずない。


自分がこうすれば、どうにかなるかもしれない。

そう思えるなら、そうすればいい。

でも大切なのは、本人以上に自分が心配したり、あれこれを気をもんだり、行動することじゃない。自分にも、相手にも、最善のとりなしがなされることを信頼することだよ。


「…そうなのかしら…」


そうだって。全部大丈夫だって。
とにかく暑いから、今日はもう行くからね。
じゃあね。





まだ物言いたげなその「声」との会話を半ば強制的に切り上げ、私らは手を洗って、駐車場に戻りました。

そういえば以前もこんなことがあったなあ。あのときは、こっちが「もういい」って言うのに、ずっと謝られて、どうにも調子が狂ったんだった。

うちの母さん、あんなキャラだったっけ???


そう思った瞬間、すっと腑に落ちました。
今日聞いたあの「声」は、うちの母だけのものではなく、みんなのものだ、と。





「あのとき、自分がこうしていれば、この人には別の人生があったかもしれない」
「あのとき、こうできなくてごめんなさい」


私が今日お墓の前で聞いたのは、こうした言葉に代表される、一種の後悔の念だったのだと思います。身体をもった存在として二度と会うことはできない人に対する、遂げることのできない思い。


それは、母や祖母だけでなく、私にも、今日お墓参りに来ていた人たちにも、そして、誰かの死を経験したすべての人の心にも宿りうる思い、なのでしょうね。

私は今日、人の心がこの時期に共通して抱きうる思いを、「母の声」として受け取ったのだな。

帰りの車のなかで、今日感じたすべてがするするとつながって腑に落ち、静かに消えていきました。




なおちん
母さんの声にさんざ説教ぶちかましておきながら、車に戻った後、うっすらこう思ったんだよ。

「せっかく話しかけてきてくれたんだから、もうちょっと親身に聞いてあげればよかったかな。」って。

さっそく「あのとき自分がこうしておけば…」って思いに心をもっていかれてるんだよ、なんだかなー。


真理さん
いいじゃありませんか。
あなたは今日、以前よりも一歩進んだ形での癒しに取り組めたのですから。


なおちん
…そうだね。
前のときは、母さんから長年の罪責感を告白されて、アタフタして終わった。ふだんの仕事だったら、平然としてる場面だったのに。

母さんからあんなことを言われて、ズブズブになっちゃったんだ。


真理さん
今回は、ちゃんと「仕事」をしたじゃありませんか(^-^)

なおちん
…そうだね。

「あのとき自分がこうしていれば…」という思いも、ある種の愛の表れだ。それが悪いわけでは決してない。

私たちはときに、「自分が」他人の人生に何か影響が及ぼせる、と考えるし、強くそう思い込んで行動することもある。それがうまくいくときもあれば、いかないときもある。


でもさ、大切なのは、自分が他人のためにどう行動したか、ではないんだよね。自分が何を信じたか、信じ続けるか、なんだ。ちょうど先日の『奇跡のコース』のクラスでも、未来を聖霊に委ねることを思い出したばかり。


ミイラ取りがミイラになりかけた瞬間、それを思い出して、今回はちゃんと、聖霊に任せることができたよ。

「みんなと私のこの思いをお渡しします。これを聖霊の目的のために使ってください」って。


真理さん
よくできましたね、二重丸です。
あとはこちらに任せて、あなたは安心していてくださいね(^-^)

なおちん
…そだね(笑)
お墓の前でぶちかました説教が自分に帰ってきたよ(笑)

真理さん
(^-^)




どんな思いであれ、聖霊に託し、聖霊の目的に使ってもらう。これは『奇跡のコース』特有の表現かもしれません。

この祈りに対する聖霊の答えを、日々のコソ練で確かめていますから、今回もきっと大丈夫。

今年のお盆も、いいお墓参りになりました。
ありがとう。


追伸:
原稿を書き終え、ブログの編集画面で文字の体裁と整えていたときのことです。ふと、「なぜ母はあんなに何度も謝るのだろう?」という思いが心に浮かびました。
 
次の瞬間、「すべてを忘れ、許すのだ」という思いがわいてきました。


『奇跡のコース』でいう許しとは、罪やその結果起きたことを容赦する、という意味ではありません。

過去に起きた(と思っていた)ことが何ら現在に影響を及ぼしてはいない、と認めることです。つまり、現在に影響を及ぼす過去は、何ひとつなかった、とみなすこと。自ら、そういう姿を見せること。

あ、もうすべてを許そう。

そう思った瞬間、すっと心が軽くなりました。体感はほとんどなかったけれど、深い深い部分が置き換えられたことがわかりました。これが、聖霊の癒し。


…さっき託した思いが、さっそく返ってくるなんて。さすが、仕事が早い。まだ原稿を書いているうちに体験が起こったので、こうして書くこともできました。

重ね重ね、ありがとよ。
みなさんも、久しぶりの長文におつきあい下さって、ありがとうございました!



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